横浜港周辺(山手~関内)でのまちあるき

 本日は、ゼミの活動としてまちあるきを行いました。横浜市の山手・元町エリアから出発し、関内・馬車道の辺りまで4時間ほどかけて歩きました。2グループに分かれてまちあるきを行ったのですが、このブログでは私のグループの行程に沿って本日のまちあるきを振り返っていこうと思います…!

 まず、JR石川町駅に集合し、「外交官の家」を目指して急な坂道を登っていきました。坂の途中には、洋館と呼べるような立派な家がいくつかありました。その家々を見て、外国人居留地として拓かれた山手の歴史を感じることができました。

 そして、坂道に苦戦しながらも外交官の家に辿り着きました。

 山手イタリア庭園にある、この「外交官の家」は、東京渋谷にあった明治政府の外交官・内田定槌氏の邸宅を、横浜市が移築・復元したものだそうです。庭には、十分に手入れされた大きな花壇が並んでいました。また、室内には明治期当時の暮らしを思わせるような家具や調度類が置かれていました。どの部屋もどの展示物も綺麗に手入れされていて、誰がこんなに整った状態を維持しているのだろう、という疑問を抱えたまま外交官の家を後にしました。

 次の目的地は、山手234番館。道中、ブラフ積擁壁(写真に映っている、四角い石がレンガのように積み上げられた壁)を見つけ、その特徴や歴史についてゼミ生に説明してもらいました。

 さらに歩を進め、坂をのんびり下っていると、近くに住んでいらっしゃる方に声を掛けていただきました。その方は山手・元町エリアに十数年住んでいるそうで、地域の歴史に精通しておられました。そして私たちは、彼にカトリック山手教会を見学することをおすすめしてもらい、予定を変更してその教会に向かいました。 教会の中も彼に案内していただきました。

 

教会を出た後は、港の見える丘公園を経由して横浜開港資料館へ行きました。もう足が疲れて、開港資料館に早く着きたい一心で歩きました。

 ここで私が今日気づいたのは、フィールドワークを成功させるには十分な体力が必要だということです。当たり前のことかもしれませんが、「もっと体力をつけないと…」とこれほど強く思ったのは初めてでした…。

 さて、へとへとの私はやっとのことで横浜開港資料館に到着しました。展示室には魅力的な展示が並んでいて、展示を見ていると足腰の疲れを一時的に忘れることができました。

  高校までの歴史では、ペリーの来航も横浜の開港も、日本全体の歴史としての目線でしか学んだことがありませんでした。しかし、この資料館では地域の目線で歴史が説明されていて、当時の人々により行われた試行錯誤の数々はとても興味深かったです。2階では、関東大震災における横浜市民の被災体験に関する特別展示が行われていました。

 本ゼミには、震災展示をテーマに卒論を執筆しようとしている4年生がいるのですが、私はまだ震災展示を見たことがなくイメージが湧いていなかったため、非常に勉強になりました。先に述べたゼミ生が研究対象としている東京都復興記念館にも今度行ってみようと思いました。

 閉館時間のぎりぎりまで展示を見て、今回のまちあるきは幕を閉じました。

 今までゼミで行われていたまちあるきはある一人の先輩が中心となって計画を立てくれていました。今回は、同期のゼミ生4人が初めて計画してくれたまちあるき企画でした。山手・元町エリアから関内・馬車道にかけては、観光地としてほとんどのゼミ生が何度も来たことがある場所だったため、観光客としての目線を捨て、フィールドワーカーとして歩くことの難しさを感じる場面が多々ありました。ですが、計画してくれた同期が解説を加えてくれたり、思わぬ人との出会いがあったりして、新しい学びをたくさん得ることができたように思います。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です