研究員を務める社会理論・動態研究所のアジア社会学研究会に久しぶりに参加してきました。年に1回の開催です。初回か第2回あたりに参加させてもらい、龍大に赴任した後も1度だけ参加しましたが、5年ほどご無沙汰していました。

「アジア社会学」というフィールドの設定とはずれるものの、初めて報告もさせてもらいました。報告タイトルは「民俗行事と子どもの社会化―滋賀県栗東市の左義長を事例として―」です。日本生活学会の生活学プロジェクトで行っている研究についての報告でした。

学会報告は時間がかなり限られますが、研究会では質疑応答込みで2時間もいただいたので、端折らずにご報告できました。私が主張している、民俗行事が子どもにとって、その地域社会についての理解を深めたり規範を身体化したりする社会化過程にかかわること自体は、新しい議論ではありません。子ども(子ども組)が担う民俗行事は全国各地にあり、おそらく、いずれもそうした機能を有してきたことでしょう。

以下、報告を終えてからつらつらと考えたことをメモしておきます。


なぜ、子どもたちが民俗行事の実施を通じて地域社会に社会化しなければならなかったかと言えば、当然、人口の流動性の低さにより、その社会で大人になっても生きていくことが前提とされていたというようなこともあるでしょう。民俗行事も、神事や農事と結びついていることが多いのですが、そうした意味や物語は大人になってから後付けでしることもありそうです。子どもたちとしては、イベントごとであったり遊びであったりします。

民俗行事を地域社会存続の方法の一つ(レパートリー)であると捉えるという視点で研究を進めて行きたいと考えています。ただし、それは「昭和的」な地域社会の存続のための方法であり、「そのような地域社会の形が求められているか」という根本的な点こそが議論の対象になります。

「コミュニティが希薄化しており、その結び直しが重要だ」という素朴な立場に立つのであれば、もしかすると、レパートリーを再活用することが助けになるかもしれません。その場合にも、このレパートリーが有効だった背景(農業人口の多さ等)が失われているので改変は必要です。

「そもそも求められる地域社会の像が違うのだ」という立場に立つのであれば、レパートリーの有効性はほぼ失われます。ただし、レパートリーがレパートリーになるべく経てきた形式化、便宜化のようなものをそのまま破棄するよりは、新しく求められる社会像に合わせた改変が資源利用として望ましいかもしれません。

このようにして、いずれの事情にせよレパートリーは改変される必要がある。むしろ、そのように改変を繰り返してきたからこそレパートリーは民俗行事のような伝統として認知されてきたのかもしれません。

もう一点、「求められる地域社会の像」などというものが今やないのではないか、という批判的検討を加える必要もあるでしょう。地域社会以外のコミュニティを議論するということですね。この視点では、「地域共生社会」(厚労省)のように「求められる地域社会の像」を訴え続ける国の政策も当然検討の俎上です。


次回はせっかく設定されている「アジア」の文脈で何か報告したいと思います。

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