関心が向いたことがあるとき「アンテナを張る」という表現はよくするけれども、僕の場合は、アンテナをそう何本も張ったままにはできないから、Facebookなどでそのときどきに関心のあることをかなりしつこく書くようにしている。すると、自然といろいろな人から情報をいただけるものだ(職業柄、ちょっと関心があるだけのことについても専門家と思われてしまうこともあるのが難しい)。
特に最近では、左義長について調査していると書いたり言ったりする機会が多い。左義長と見て・聞いてわかる方ばかりではないことを前提に「ヒダリ・ヨシナガさんという人についての調査ではありません」と言って笑いを誘ったこともあった。
子どもが担い手となっていたことにも関心を示していたら、「関西だと亥の子(いのこ)という、子どもが担い手となる行事がある」とか「三番叟(さんばそう)も子どもが踊っていた」など、いろいろと研究室のOGや現役生も教えてくれた。
そうかそうか、と調べていたら会ったのがこの本。
山陰中央新報の文化面に2010年から2012年まで75回で連載されたもので、山陰民俗学会のメンバーが著者陣。けっこう、著者によって癖があるので「あ、これさっきの章を書いていた人だ」とわかりやすい。
執筆方針は、今日行われている生活の各分野の原点を確認しながら、過去から現在への変化を追い、未来の姿を考えてエッセー風に述べるよう努めた。
とのことだが「未来の姿を考えて」の部分は、やはり著者によって書きぶりがかなり違う。伝統・民俗は残していくべきだとか、行政が本腰をいれなければならないという、従来の「べき論」が展開されているものも少なくない。一冊の本として出版するときに「原点」「変化」「未来」の3点が明示的になるように、再構成するなり、各記事に1行ずつでもよいので編者が未来を展望するひと言を加えると完成度が相当に高まったのではないだろうか(文化財指定に係る話・願望も散見され、『「創られた伝統」と生きる』も思い出した)。
とはいえ、多くの民俗が紹介されていて、読むだけでもおもしろい。自分の知っている地域の民俗を思い起こしながら読むと、なおさらおもしろい。たとえば、次のような部分がある。
雑煮に入れる餅は平たい丸餅である。特に正月餅は前年の12月28日についたものだ。29日は二重苦と語呂合わせで、この日に餅をつくと一年中苦労がついて回るとして、28日にはどうしてもつきあげてしまいたいものであった。
僕が知っているとある地域では(最近のことかもしれないが)餅は12月29日に必ず搗いている。それは「29(ふ・く=福)」に掛けて福餅だと呼ばれている。同じ29日でも二重苦に掛けるか福に掛けるかで、搗くべき日か搗かないべき日か物語が変わって楽しい。
日照条件が地名に残っている例だとか、鳥取県のムラが中国型ではなく近畿型だとか、講は現代のSNSにつながるとか、いろいろと勉強になる論考も収録されていたが、いちいちここで紹介できないので割愛する。
ちょうどこないだ、僕たち夫婦の両親と会する場があり、そこで「ひな祭りや七夕が何月何日か」ということが話題になった。そのあたりの話は「旧暦と新暦」という記事にまとめられている。山陰地方に限らず、民俗の基礎を学ぶにもちょうどよいかもしれない。
暦の話とも関連して、本書で何度か出てくるのが「新生活運動」だ。
新生活運動の一環として、新暦統一の啓発活動が行われた。その活動を根底から支えたのが地域の婦人会だった。たとえば鳥取県連合婦人会は、新旧暦両方を用いる生活は不合理、煩雑であるとして……
クド(かまど)についても次のような言及がある。
クドをなくしたのは、戦後の昭和20年代に流行した新生活運動だった。
運動の大きな特徴は、台所の改善だった。従来の台所は暗く、じめじめしているので採光と換気を良くすること、と同時にクドの改良だった。
生活に合理化や近代化の波が押し寄せると、民俗の行方は大いに揺らいだ(揺らいでいる)でしょう。ここで「経済合理性とは異なる目的合理性はあるのだ」という方向で議論を進めることも可能で、民俗の社会的機能について議論することもできるはず。現代の社会で求められることと民俗の社会的機能との関係を丁寧に描く必要があり、ここで本質論にもっていってしまうと共感しがたい「べき論」になってしまうのだろうなあ、と危惧します。
それともう一つは「よく分からないけど、やっていくんだ」という、不合理への寛容という道も模索されてもいいのかなあ、と。一度、合理性でもって「説明」をしてしまうと、その説明に納得できない人は絶対に離れていくわけで。「わけのわからないもの」の存在をゆるす社会のありかた、みたいなことも考えさせられました(その点では、『今を生きるための現代詩』ともつながる部分もあり、やはり最近読んだ本とまったく他分野でも頭の中でどんどんつながっていくのも読書の楽しみだなあ)。