栗東市でのフィールドワーク

立命館ARC-iJACで採択されている共同研究の関係で、2021年7月24日-25日に現地調査を行いました。今回の現地調査の主な目的は、プロジェクトに必要な史料の確認を行うことでした。

7月24日(土)

草津宿

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JR草津駅から現在は広場になっている草津川跡地を越え、草津宿本陣へと向かいました。草津宿は東海道と中山道の分岐点であり本陣建物が現存しています(史跡草津宿本陣)。まずは草津宿街道交流館で宿場の歴史や文化を学び、続けて本陣も見学しました。

「生活空間」を表現したいと考えている私たちにとって、過去の生活に関する歴史・文化を学ぶことは重要であり、展示方法や情報の選び方なども参考になります。

草津宿~岡

草津宿を出てすぐ東海道と中山道の分岐点から旧東海道へと南東方向へ歩みを進めました。天井川だった草津川跡に沿って、やや勾配のある道を上っていきます。旧東海道は細く曲がった道ですが、特に草津宿から国道1号線を越えた先の道は車がよく通り徒歩での移動にも注意が必要です。国道1号線を越えて少し進むと草津市から栗東市の小柿(新屋敷)に入ります。

岡~目川

新屋敷からさらに進んだところに岡という地区があります。岡は金勝川(こんぜがわ)と以前の草津川が合流していた地点で、ここからしばらく旧東海道が北東方向へと向きを変えます。

岡から進んだ目川地区も含め、目川・岡は街道の立場(休憩所)があったところです。笠井の既往研究の対象地でもあり、私たちのプロジェクトで、もっとも注目しています。そこで、この区間を往復して踏査することにしました。

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旧東海道と並行して金勝川が流れています。過去にたびたび水害ももたらした川ですが、訪問時はわずかな水量でした。まずは合流地点から旧東海道を北東に進みます。途中、ときどき金勝川の橋上へ出てみました。

笠井の『栗東市の左義長からみる地域社会』で扱った小正月の行事「左義長」の目川・岡地区での会場もそれぞれ橋上から確認できます。左義長は火を用いる行事なので田や川など延焼のおそれが無く水が取りやすい場所が必要です。

どこか地域を一望できる場所があったのだろうかと、金勝川の土手上から街道を見てみましたが思いのほか見通しはよくありません。以前の聞き取りでは土手にケヤキの木が何本も植わり、小柿地区からも見えたと言います。ということは、そこで鳴いていたというフクロウのように木の上に立てば、もしかすると街道筋がよく見えたかもしれません。

さて、北東方向に進み地蔵院という寺に着くと目川と坊袋地区の境なのでここで引き返します。治田(はるた)小学校前を経由して、岡の合流地点を目指して折り返しました。

目川~岡

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ところで滋賀県立公文書館ウェブサイトには旧村絵図という資料が掲載されています。

金勝川と街道を挟んで反対側、街道から少し下ったところには小川とともに細い道が旧東海道に並行しています。地域の人たちはこの小川を「藪ノ下」と呼んでいます。近くで育った共同研究メンバーの記憶でもこの小川の近くは竹藪が多かったとのこと。帰りはこの藪ノ下の道を歩きます。


【旧村絵図(川通堤防用悪水路杁樋溜池道路橋梁之絵図)】

「堤防や橋梁、道路などの長さが記された旧村絵図。明治6年12月、県令松田道之の指示により作成されました。従来滋賀県では、堤防などの改修費は負担者が曖昧で、それを松田は「甚タ不公平」であると考えていました。そのためこれらの絵図では、施設ごとに「自普請所」「御普請所」と、官民いずれが負担するか、細かく注記されています。」

滋賀県立公文書館 https://archives.pref.shiga.lg.jp/index.php/collections

今回、ここで目川村と岡村の旧村絵図を印刷して持参しました。説明にある通り、この絵図の目的は堤防等の改修費を明確にすることにあるので、対象工作物の位置さえ同定できれば目的を果たします。つまり、長さや建築物の個数などは精確でなくても良いはずです。旧村絵図は村ごとにそうした精確さに関する程度差が大きいように思われたため、目川・岡地区のそれぞれを観察することにしました。(ここでは各地区の精確性についての詳細な説明を避けます。)

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いずれにせよ、特に水路に関する工作物の場所は、実際にこの地図を手に歩くと容易に確認できました。石橋自体が明治初期から置いてあるものかどうかは別として、絵図と同じ場所に石橋がある場所は多く見つけられました。そのため、逆に絵図にはあるが現存していないものに注目することで、地域の変化も辿ることができそうです。

小槻大社、大野神社、伊勢落~梅ノ木~手原

目川・岡地区の氏社である小槻大社に行きました。また、翌日も同様ですが市域で古くからある場所をできるだけ訪ねておこうということで、この日は大野神社にも行きました。

その後、旧東海道の栗東市における東端である伊勢落地区から市役所近くの手原地区まで、街道筋を車で移動しました。途中、梅ノ木立場の旧和中散本舗にも立ち寄り外観を見学しました)。

7月25日(日)

栗東歴史民俗博物館

草津駅を出てバスで栗東市役所へと向かいました。栗東市役所循環線は旧東海道を通って市役所まで行くので街道筋を車窓から見学するのにも適しています。市役所からは通称「シロ公園」(安養寺地区の左義長場の一つ)、「タコ公園」(コミュニティガーデンの整備など地域のかかわりが深い)を見学しつつ、徒歩で栗東歴史民俗博物館に行きました。

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博物館では、共同研究メンバー(同館学芸員)から常設展・特別展の解説を受けました。遺跡や古墳からの出土品、さらには寺社や山岳で信仰の対象となってきた仏像など多くの展示品が並びます。その後、非展示の地券取調総絵図(フィルム)、字限図、そして市域の小字を地図上に記した図(便宜上「小字境界図」)を閲覧しました。

ただし今回は所蔵史料の状態等を確認するに留めました。

日産リーフの森、石部宿(湖南市)、新善光寺、SL公園、高野神社、大宝神社訪問

栗東市は旧4村(大宝、葉山、治田、金勝)から成っており、1日目に訪ねた目川・岡地区や小槻大社は治田です。山林地帯である金勝では集落を訪れたいとも考えましたが、コロナ感染状況を踏まえて断念し、前日の大野神社に加え日産リーフの森を訪れることにしました。加えて葉山では新善光寺、SL公園(稲荷)、高野神社に、大宝では大宝神社に行きました。

生活圏は必ずしも現在の自治会境界によって分かれているわけではありません。たとえば金勝の一部地域では現在の湖南市域との繋がりが大きくありました。そこで、途中、石部宿まで行ってみました。


今回は、現地調査でありながらコロナ禍のため聞き取りを行わず、地域住民には一切会わない方法を敢えて取りました。とはいえ、徒歩と車それぞれの速さ・視線から街道筋を中心とした市域全体を見ることができました。また、本プロジェクトにとって重要な史料の所蔵と状態が確認できたことも収穫でした。

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