以前、教員免許状更新講習を担当したところ、受講された現職の教員から、ご自身の所属先で講演を開いて欲しいという依頼をいただきました。
そこで、青山学区人権教育研究会(滋賀県大津市)で、先方のご依頼通りに「互いの考えを伝え合う方法」というテーマで1時間のお話をしました。
アンケート結果
◆今日の講演は全体的にどうでしたか?
- とてもよかった 13名
- まあよかった 17名
- どちらとも言えない 1名
- あまりよくなかった 0名
- わるかった 0名
◆今日の講演はわかりやすかったですか?
- とてもわかりやすかった 11名
- まあわかりやすかった 17名
- どちらともいえない 3名
- ややわかりづらかった 0名
- かなりわかりづらかった 0名
「互いに考えを伝え合う方法」のうち、特に「考え」と「互いに伝える」に注目し、次のような問いかけをしながら説明をしていきました。
「考え」をめぐる問いかけ
- 人は考えを(常に)もっているのだろうか
- 人はどのようなことについても考えることができるのだろうか
- 私たちがはほかの人のあらゆる考えを知りたいのだろうか
「伝える」をめぐる問いかけ
- 伝わった(伝わらなかった)とはどういう状況だろうか
- 伝わったら何が起きるのだろうか(なぜ伝えるのだろうか)
- 本当に伝わったかわかるのだろうか
これらの問いに答えながら、お話しした内容の要点は次のようなことです。
- 私たちは、人に問いかけられて言語化することで考えをもつ(対話的構築主義)。「謙虚な問いかけ」(シャイン)とかナラティブ生成アプローチと呼ばれる問いを発していく。考えをある段階でもっていないということについて責めてもあまり意味はない。
- 考えられることには、条件(前提知識、興味関心など)や範囲の制限(自分との距離など)があるので、相手と自分との間の条件・範囲の差を埋めながらコミュニケーションを進める。個人的なことは政治的なことと唱えた第2波フェミニズムは、範囲の制限を変える動きとも評価できる。
- 自分が言葉やジェスチャーなどにどのように表現し、相手がその表現をどのように解釈するかによって、伝わるかどうかは異なる(エンコードとデコード)。
- 相手がどのように考えているかを想定してコミュニケーションを取るのも重要だが(間主観性)、誤解を減らすためには丁寧に聞く・答えること、論理性を重視することが必要だ。
- ほかの人には自分と同じように何らかの合理性があり(無自覚かもしれない)(他者の合理性)、互いに相手の合理性には納得はいかないかもしれないが、論理的なコミュニケーションがとれれば理解には到達する可能性がある。
- 共生社会とは、異なる他者が共に生きられる社会だが、異なる他者は互いに納得いかない合理性をもちうる。両者が納得できる新たな解を形成することも重要だが(アウフヘーベン)、それ以前に、両者が、互いに自身の考えを伝え、相手の考えを聞く冷静で成熟したコミュニケーションを取れなければならない。
- 相手の考えを尊重する、個性を重視するとは、相手の考えと異なる自分の考えを伝えないことではなく、むしろ、伝えても共に生きていける社会をつくることである。
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