ハーシュマンの『連帯経済の可能性』を読んだ。どうも学生の頃に読んだようだ。というのも、「社会的エネルギーの保存と変異の原理」に言及したことがあるからだ。指導教員が連帯経済の研究者だし、僕がこの本を読んでいない方がむしろ不自然かもしれない。
とはいえ、10年弱が経ち、今の自分は当時とは興味関心も異なるし、「社会的エネルギーの~」以外にもおもしろく読めた。ちなみに、この原則とは次のようなものだ。
当初の目的が果たせなかった社会運動は、あたかもすべてが無条件で失敗であるかのように思われてしまうだろう。しかし、そうした運動の過程で沸き起こった社会的エネルギーは、たとえ運動そのものが目の前から消えようとも、消え去るものではない(p.93)
時を経て、こうした「社会的エネルギー」がふたたび活性化するのだが、その現われ方は、以前とは非常に異なっている場合も多い。(省略)つまり、社会的エネルギーがまったく新たに噴出したというよりは、復活しているのである。(p.72)
社会のために何かしたいというこうしたエネルギー自体がどこから来るのか、なぜ人によって異なるのかも気になる。自治会活動などを調べていると、現役(会社員)時代に組合でバリバリ活動していた人が活躍していたりするが、何か関係あるだろうか?
さて、本書では通常とは異なる「シークエンス」で起きることがらに注目がおかれている。「教育」があるから「発展」が起きるという方向だけではなく、「発展」したからこそ「教育」が充実する、とか、「富裕層や中産階級がまずはかつ土して国家が引き継ぐ」という方向だけではなく、…等々。
ただ、意外なシークエンス、というテーマ設定よりも、どうして人々は行動に出るかという話の方が興味深かった。
より根本的に必要なのは、孤立と互いの不信感を払拭する共通の経験だということである。(p.95)
また、協同組合をつくることにより(外の広範な)社会全体に何かしらの変化がおきるとかいう話ではなく、その人たち自身にとって協同組合を作ること自体に意義があるし、外からのマクロな評価軸が有用性をもたないというような議論も参考になる。